過去の経験に照らして、とか、経験に学ぶ、とかよく言われると思います。あれはどういうことでしょうか。
考えてみれば、自分が一度したことというのは2度とできません。なぜなら、その時と環境も自分自身も違っているからです。
だから、過去の失敗を記録しておいて、あとで見返すなんていうことをしても、全く意味がありません。
何が意味があるかというと、過去の経験を抽象化・一般化して、他の事象にも当てはめられるようにすることです。
だから、日誌などについても、起きた事実を記録しておくのは、議事録くらいで十分です。
記録しないといけないのは、その起きたことから、どのような一般的理論が導けるのかを考えて記録しておくことです。
これなら読み返しても意味のあるモノになっています。
したがって、日誌には
事実 起きた事そのもの
理論 それからどのような真実が言えるか
を書く必要があるわけです。
以前の記事で感想なども書くと書きましたが、これは単に感情を吐き出しているだけ。これはこれで必要なのですが、未来に活かすためには、ある事実があって、そこから何を理論として学んだかを考えることです。
事実と真実は別物です。事実は起きた事そのものであって、真実は、その事実を自分というフィルターをくぐらせた時に、出てくるものです。
例えば、
事実 りんごが落ちた
理論 モノには相互に引き合う力がある
ということです。

2012年02月24日
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