「こんなつまらない仕事は嫌だ」
「もっと責任のある仕事がしたい」
「自分の脳力に見合った仕事がもらえない」
こんなふうに思ったことはないでしょうか?
どんな仕事であれ、最初から責任のある、経営に直結するような仕事をさせてもらえることなんてありません。
しかし、往々にして、自分の力を過大評価して、今の仕事を否定したくなる場面が結構あります。
■新人の仕事
たとえば、私のグループではソフトの開発をしているチームがあるのですが、最初に入ってきた人は(派遣の人も含めて)、ソフトの評価をしてもらいます。新人なら2年くらい。派遣の人でも1〜2ヶ月。
なんのためにやっているかというと、
・現在の開発しているものの動きを体で覚えてもらう
・適性を見る
という2つの視点で仕事の仕方を見ています。
新人だと、プログラマになろうとおもって入社してきているでしょう、あるいはかっこ良くお客さんとソフトの仕様の打ち合わせをするシステムエンジニアでしょうか?
無理、無理
ソフトの評価という仕事はチェックリストに従って、その通りに操作して、仕様のとおりに結果をソフトが出力したかどうかを確認する非常に単調な仕事が中心です。
バリバリにソフトを組んでいる格好いい姿を想像してきた人から見れば、非常につまらない仕事でしょうね。
で、どうなるかというと、大概の場合はチェックリストの通りにやらなくて、チョンボを出します。
■適性を見る
そこでようやく2番目の目的「適性を見る」が見えてきます。
もちろん、会社の経営にインパクトのある仕事をするためには、いっぱい経験して実績をつまないとやらせてもらえないのですが、責任の重さについては、それぞれの分野において同じです。それが理解できるかどうかが新人として一人前の社会人に成長していけるのか、単なる労働力の一つになるかの分かれ目になります。
つまらない仕事と思ってしまうと、その時点で思考が停止します。
思考が停止すると、単なる作業者として、体だけ決められたように動く機械になってしまいます。
ところが「できる人」というのは、仕事がつまらないと思わないんですね。
例えば、「5000枚の紙をシュレッダーにかけてこい」と言われたら、単にシュレッダーに紙を入れるということをするのではなく、最初の100枚くらい時間を測ってみて、「次はこうやったら作業時間が短くてすむかも」と考えて、作業のやり方を変えてみる。それでうまくいけばさらなる工夫をしてみる、というやり方をするんですね。
これが適性です。
何事も工夫する余地があるんですね。そのときに考えて仕事をするかどうかを仕事を与えた側は見ているわけです。
■仕事が楽しい
「仕事が楽しい」かどうかはいろいろな定義がありますが、その一つとして、
自分が主体性を発揮できるか
にあるのではないでしょうか。
ただ、「主体性を発揮できる仕事をください」といってもそんな仕事はもらえません。だって、すべての仕事がそうなんですから。
そこに気づけない人は、どのような仕事をもらったとしても、主体性どころか責任も取れませんね。
そういう人にはそういう仕事しか渡さなくなります。
つまり工夫しなくても、考えて仕事をしなくても、そこそこの結果が出る仕事です。
もしあなたが入社1〜3年目程度であれば、あなたの上司や先輩は、あなたを戦力にしたいと思っています。しかし、戦力になるだけの能力を示さないと、戦力としては使ってもらえません。
ぜひ、工夫と、その工夫をアピールしてみてください。