あけましておめでとうございます。
新年最初のサラヒンは、私が教訓にしているお話から始めたいと思います。
以下は、涙の数だけ大きくなれる!で読んだモノを引用します。
★――――――――――――――――――――――――――
あるメンタルへルス協会の先生からお聞きした話ですが、あのパナソニックの創業者として有名な松下幸之助さんは、生前、各地の自社工場の視察に訪れています。彼が訪れたある工場の中に、ただひたすら小さいソケットのついた豆電球を磨く作業をしている工員の方たちがいました。
松ド幸之助さんはしばらく彼らの作業を眺めていたかと思うと、いきなり感に堪えない声で
「ええ、仕事やなあ」
と言ったのです。すると、みんなびっくりして手が止まるわけです。
私にはその人たちの心の中はわからないので代弁はできませんが、
「電球を磨く仕事が、何がいい仕事なの?」
と、なかには疑問に思った人がいると思います。すると、幸之助さんは彼らにこう言い出したのです。
「ええ仕事や。あんたらが磨いている電球は、どこで光るか知っとるか?」
たぶん、電球磨きの工員さんたちのほとんどがそんなことを考えたことはないと思います。今、自分が磨いているこの電球が、どこでどういうふうに光っているかなんて考えて磨いていないわけです。戸惑う彼らに幸之助さんはこう続けたのです。
「山間の村の中には、まだ電気が行きわたっていないところがいっばいある。そういうところにも子どもたちがいっばいおる。そこに住む子どもたちは夜になって暗くなったら、外で遊ぶことも本を読むこともできなくなる。あとは寝るだけや。
本というのは人間の心を豊かにするわな。その本を読んで彼らが未来を夢見て、心を躍らせ
『ああ、僕も大きくなったら、こうなろう、ああなろう』
と、そう考えさせてくれる読書も、日暮れとともにページを閉じなければならない時がやってくる。
もう少し続きを読みたい。でも暗くて読めない。そんな時、あんたらが一生懸命磨いた電球が 『ポッ』 とともりよる。その電球の下には、彼らがこれから読みたいと思っていた活字が、はっきりと見える。
子どもたちはその本を開いて、また心を夢の世界に躍らせ続けることができる。
あんたらのしていることは子どもたちの夢と未来をはぐくむええ仕事や。ほんまにええ仕事やなあ」
幸之助さんにそう旨われて、彼らはボロポロと涙をこぼし始めたのです。世の中に何の意味もない仕事はないのです。工員さんたちも自分たちの仕事の意義を知りうれしかったのでしよう。
――――――――――――――――――――――――――★
今どき電球で感動するということもないのでしょうが、あなたのしている仕事は、誰かに届いて、その人達が幸せになるお手伝いができているかもしれませんね。
これを読んで、また別の本に書いてあったことを思い出しました。
★――――――――――――――――――――――――――
雑用という用事はありません。その用事を雑にした時、雑用になるのです。
奥脇洋子 (コミュニケーション・アーツ代表)
※「大切なことに気づかせてくれる33の物語と90の名言」から引用
――――――――――――――――――――――――――★
「雑」という言葉が「雑」扱いですね(笑)
さらに「雑」で思い出したもう一つのお話。
「宮中侍従物語」という本の中にあったものです。
ここでは「陛下」とは昭和天皇のことです。
★――――――――――――――――――――――――――
両陛下のお住まいは、皇居内の吹上地区にある。 徳川家康は、天正18(1590)年、江戸城に入って、間もなくこの城の大改築に取りかかっているが、吹上地区は、それほど大きな修理も加えられずに、昔の面影を今にとどめている。たとえば、この地区で最も高い地主山(じしゅやま)や、この山の上にあったーーー
今から15年近く前の、私が侍従を拝命してからまもなくの出来事。暑かった夏もそろそろ峠を越えて、朝晩ややしのぎやすくなってきた9月初旬のことである。庭園課の係から、「吹上広芝のお庭の草が茂りすぎたので、那須からのお帰りまでに手を入れたいが」との申し込み。 ーーー
私は、さっそく吹上にとんだ。なにしろ那須からのお帰りまでに数日を残すだけだし、広芝の広さもわかっていたから。なるほど、名も知れない野草の薮であり、いたるところに繁茂しているススキは、その一部が建物にまでよりかかっている状態。その中に混じって、色とりどりの野草が咲き乱れてはいたが、その名前は知るよしもない。ただ、オミナエシやキクやハギぐらいはなんとかわかった。これらの雑草も、おそらく両陛下の那須へのお留守中に繁茂してしまったものだろう。
さっそく係と相談して、建物から10メートルくらいの雑草は全部刈り払ってしまい、特に両陛下のお住まいの裏にあるわれわれ侍従室の前の庭は、全部刈ってしまうように頼んだ。係の人は少々変に思っていたようでもあったが。
やっと刈り払いも終わり、9月中旬、両陛下は那須からお帰りになった。ところが、吹上からすぐ来るようにとの連絡、陛下からのお召しだという。私は、お庭をきれいにしたのでおほめのお言葉でもと期待しつつ。
「どうして庭を刈ったのかね。」
「雑草が生い茂ってまいりましたので、一部お刈りいたしました。」
「雑草ということはない。」
私は、とっさには陛下のおっしゃった意味がよくわからなかった。
「どんな植物でも、みな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。人間の一方的な考え方でこれを雑草としてきめつけてしまうのはいけない。注意するように」
というような内容のお叱りであったと記憶している。私はこうべを深くたれてお部屋を出た。
なるほど、その後、陛下のお言葉に雑草ということをお聞きしたことがない。
「雑草の科学」(沼田真編、研成社)の中に、「雑草は、作物に対する一群の植物のカテゴリーであって、植物学的ないし生物学的概念ではない。人間が自分のために栽培し収穫しようとする作物に対して、作物以外のすべての植物、招かれざる客として作物栽培の場に入り込む植物である。栽培されたもの、まきつけられたものでないという意味では雑草はナチュラルであるが、それが人がつくりだした環境に生ずるという点では、半自然的な植物群落をつくるといってよい」と。
吹上地区には、招かれざる客として入り込む植物はありえないのである。そういえば、先人たちは、うまい言葉を考えた。
吹上の植物はすべてご愛草であって、雑草ではないと。なるほど、こよなく自然を愛される陛下にとっては、すべての植物は「ご愛草」なのである。
――――――――――――――――――――――――――★
雑用も、「愛用」と置き換えたら大切にできるかもしれません。
■参考図書
◆アマゾン
涙の数だけ大きくなれる!
大切なことに気づかせてくれる33の物語と90の名言
「宮中侍従物語」はアマゾンにはありませんでした。
◆楽天
涙の数だけ大きくなれる! |
大切なことに気づかせてくれる33の物語と90の名言 |
宮中侍従物語 |