私は小学校の頃、跳び箱が不得意でした。
まぁ、運動自体が余り得意ではなかったので、その中の一つでもあったのですが、特に跳び箱の時間はイヤでした。
跳び箱の方に走って行くと、跳び箱にぶつかりそうな恐怖(おおげさですが)で足がすくんで、手前の踏み台で立ち止まってしまいます。
高学年になってから、先生に跳び箱の飛び方というのを教えてもらいました。曰く、
「跳び箱の天面を両手を上から下に振り下ろして、思い切りたたけ」
というものでした。
そしたら飛べるようになったんですよ。あっさり。
■問題に集中してはいけない
最近、仕事で色々な人を指導したり、一緒にプロジェクトに取り組んだりするときに、気がついたことがあります。
問題があって、その解決策をうまく見いだせずに、右往左往する人は
問題を何とかしようとしている
という傾向があるみたいです。
つまり、あるプロジェクトを完遂するためには、○○をやる必要があった時に、それをやるためには、今ある××という問題を解決しないといけないというシチュエーションがあると、なかなかうまく解決できない人は、「××という問題」を解決しようとしちゃうんですね。
そうすると、「××という問題の解決策」にたいして、それをやることで△△という不都合が生じる。△△という不都合があっても、この解決策を実施するためには、△△という不都合に手を打っておかないといけない。そのためには▲▲をやる必要がある。みたいに、対応策がどんどん複雑化しちゃうんですね。
でも実は、そのプロジェクトを完成させるための方法は1つではない。
いろんなやり方があります。
つまり、その最初の問題を起こさないようなやり方がある場合があります。
解決するのが大変な問題に出くわしたら、その問題が起きない別の活動をすればもしかしたらそっちが楽なのかもしれません。
■跳び箱を見ると飛べない
跳び箱のこちらに見えている面に集中してしまうと、壁に見えますが、飛び越す天板を見ると単なる板にしか見えません。もともと飛び越えることを目的にしているのだから、無関係の跳び箱の側面はどうでもいいわけです。
ただ、実際に問題にぶつかると、その問題を解決することに一生懸命になって、当初の目的を忘れてしまうわけです。目的に焦点を合わせていると、そのやり方は別にいまの問題を引き起こしているやり方でなくとも可能なわけです。
perlというプログラム言語を作成したラリー・ウォールという人が、プログラミング・Perlという本の中で、すごい一言を書いてます。
There's More Than One Way To Do It(やり方はいくらでもある)
これを読んだ時に、「これだ!」と思いましたね。
実際 perl というプログラミング言語は、同じ命令でも全然違う書き方が出来るんですね。たとえば、文字を置換するのに
tr/x/y/
s/x/y/
など、それこそ何通りも記述方法があります。
実際の仕事の進め方でも、前提から考えれば、やり方は無限大にあります。コスト効果を別にすれば。
少なくとも、今起きている問題は、解決する必要がないやりかたもいくらでもあるわけです。
最近起きたトラブルなどを思い出してみてください。その時には、「この方法しか」と思えるかもしれませんが、冷静になってみると、他の手段はあったのではないでしょうか。
あるプロジェクトをするときにも、目的は1つでも、「やり方はいくらでもある」わけです。
そこに意識を持っていけるかというのが、プロジェクトリーダーの力量かもしれません。