■一目置かれるための世間話
世間話といえば、「昨日××のチームが勝った」「タレントの○○には▲▲らしい」とかいう話ですね。
でも、「お、この人スゲー!」と思われるような話でしょうか?
俗っぽい世間話をしてはいけない、などというつもりは毛頭ありません。哲学的で高尚な話ばかりをしろ、などというつもりもありません。
が、しかし、口を開いて出てくるものといえば、安っぽい芸能人のゴシップやらワイドショーが好みそうなネタばかりというのは、その人の知的能力を疑わせる事になります。
多くの人は、相手が語る話題によって、その人物の器をはかろうとします。
その人がどんな人物なのかを知りたければ、その人が口にする話題を参考にするのがてっとり早い方法のひとつだからです。
「昨日の○○のドラマ見た?」
「見た、見た、やっばり○○ちやんって、カワイイよね」
もし、 2 人のこんな会話を、みなさんが漏れ聞いたとすれば、おそらくはどちらも軽い人間だと見なすのではないでしょうか。少なくとも尊敬はしませんよね
このような会話が絶対にダメだなどと言うわけでありませんが、そればかりでちょっとですね。
なぜかというと、俗っぽい話ばかリしていたら、あなた自身が俗物だと思われてしまうから。
心理学の実験で話し手が持ちだす話題によって、「その人自身の印象が変わってくる」っていう実験結果があるそうです。
たとえば「戦争」をテーマにしていると、聞き手はその話し手を「男性的」と評価するのに対して、「介護」をテーマに持ち出すと、「女性的」と評価するのだそうです。
たとえ話し手が同一人物であっても、どんな話題を選ぶのかによって、相手からの評価は大きく変わるということです。
■抽象的・学術的な議論を混ぜる
世間話をしてもいいが、そこには、より高度で抽象的な論議をうまく盛り込ませたいですね。
そうしないと、本当の世間話になってしまい、あなた自身が底の浅い人間だと思われかねないから。
たとえば、
「○○ちゃんの仕草が、心理学上のミラーリングになってるから、彼女がうまく引き立つんだよね」
「そういえば、最近の実験でミラーリングはそれを見ている人にも好印象を与えることが証明されたんだってね」
とか振ると、あなたは世間話の中で、ちょっと知的に見えるかもしれません。
会話がうまい人というのは、「女性が可愛い」とか「ドラマの筋」の話をしていても、いつの間にか「芸術論」や「心理学」「哲学論」などに持っていけるようになると、あなたは「識者」「切れ者」の評を得ることができるかもしれません。
ただし、いつもやると嫌われますし、いつもやるためには余程の共用が必要かもしれませんので、たまにはそっち側にふる、程度にしておくのが見のためかもしれません。
■余談:中国人には古典が効く
ちょっと個人的な経験ですが、中国の人には「古典」「格言」がよく効きました。
メールで何かの説明をするときに、
「それは『説之難、在知所説之心、可以吾説当之』だよ」
などと書くと(中国語では読めませんが書くくらいなら…)、あとであった時に「物知りなんですね」と感心してくれたことがあります。
これで味をしめて、メールのフッタには中国のことわざを週替りでつけていました。結構ウケましたよ。
通訳の人に聞くと、当意即妙な古典を引用できる人は中国では「インテリ」とみなされる傾向kが多いそうです。
まぁ日本でも同じような傾向はありますが、あまりやると鼻につくかも。