仕事、楽しいですか?
私は、「どちらかと言うとそうかな」です。
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仕事がつまらないという人にアドバイスするとしたら、僕は次のいずれかをお話しします。
「つまらない仕事はない」
「楽しい仕事なんてどこにもない」
「はじめに」でも述べたように、この 2 つは一見逆のことを言っているようですが、言いたいこととしては同じです。どちらも「仕事が楽しくなるかどうかは自分次第」という意味なのです。
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トム・ソーヤーの物語にも有名な話があります。
罰として塀のペンキ塗りを課せられたトム・ソーヤーは、その仕事がとても嫌でしたが、たまたま通りかかった友人の前で楽しそうにやってみせます。すると友人から「僕にもやらせてよ」と頼まれます。
トム・ソーヤーは仕事を友人にやってもらったうえに、お礼としてリンゴなどの物品まで手に人れることに成功しました。彼は、「他人の仕事は面白そうに見える」ことをうまく利用したのです。
一見華やかな外資系企業に動めている人たちにも、こんな図式があります。
一般企業の人はコンサル企業に憧れる。コンサル企業の人は投資銀行に憧れる。投資銀行の人は投資フアンドに憧れる。投資フアンドの人は十分お金を稼いでいるので、 NPO で社会買献をしたくなる。でも NPO は世間からあまり注目されない。それなら一般企業で働いたほうがいいんじやないかと考えを改める。
一周して一般企業に戻ってきました。
結局、どっちの仕事が楽しいかなんて、誰にも分からないことなのです。
唯一の例外は、その業種が好きだという人。パンが好きだからパン屋さん、服が好きだから服屋さん、音楽が好きだから音楽家というような人にとっては、楽しい仕事というのが明確だと思います。
それ以外の多くの人にとって、「楽しい社事」がどこかにあるわけではなく、「仕事を楽しめる自分がいるかどうか」ということなのです。
岩瀬大輔(著) 『入社10年目の羅針盤』
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一言で言ってしまえば、
楽しい仕事があれば幸せだが、仕事を楽しめれば十分
ということですかね。全く同感です。
■「楽しい」より「楽しむ」
「楽しい」というのは、「楽しんでいる自分」がいるから得られる結果であって、それをどうこうすることはできないのではないでしょうか。
それよりも、「楽しんでやろう」と自分が何かすることで、楽しくなるのではないかと思います。楽しいかどうかは与えられるものではなく、自分が積極的に楽しめば、それでいいのかと。
私の場合、
知的好奇心が刺激される
「自己効力感」が味わえる
というのを「楽しい(気持ちが前向きになる)」と感じるようなので、仕事の中にそういう要素を発見しようと努めてます。こういうツボは人それぞれですし、ツボは年齢や環境にも影響されるので、本書のように、一概に「何をするといい」と決めつけられるものではないと考えてますが、多くの場合、自分が何かに積極的に参加している感があると「楽しい」と感じられるらしいです。
仕事も、「オレが工夫して変えてやろう」と思うと楽しめるかもしれません。でも、自分のやりたいことだけをやらせてもらえるわけでもなく、苦痛なこともありますので、やっぱり、「楽しい時もあれば、そうでない時もある」という感じですか。
■参考図書 『入社10年目の羅針盤』
右肩上がりの時代なら、一流企業に就職し、順調に出世して、経済的にもゆとりのある暮らしを築くことが、共通した幸せの概念だったかもしれない。しかし人々の間で物質的な豊かさよりも精神的な豊かさが求められている昨今、若い人たちも、上を目指すだけでは自分の幸せにたどり着くことができないことに気づき始めている。よく「最近の若者は出世欲がない」などと言われるが、出世の先に自分の目的とする場所があるわけではないということを、感覚として分かっているからではないだろうか。
入社10年目というと、30歳前後の若手ビジネスパーソンにあたる。経験を重ね、スキルも身についている頃だが、責任も与えられ、部下を束ねている人もいる。私生活でも結婚や出産を意識するなど、考えることの多い年代だ。若い頃はただがむしゃらに進めばよかったかもしれないが、30代以降はしっかりと方向を定めて進んでいかなくては目的地にたどり着けない。
うまくいかない時、つまらない仕事をしなければならない時もあるだろう。しかし自分の目標が定まっているのであれば、それを平然と乗り越えていく術も必要だ。
失意泰然(しついたいぜん)、得意淡然(とくいたんぜん)。
うまくいっていない時こそどっしりと構えよ、うまくいっている時こそ謙虚であれ、といった意味合いの言葉だ。この本でも紹介している。
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書名 :入社10年目の羅針盤
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