私は、「考える」という作業をするときには、ノートを広げて3色ボールペンで何かを書きつけることが多いです。もちろん、手が止まっていることはよくありますが、ボールペンを離すのは、考えることをやめた時。
■天井に相談してました
特許の出願件数が社内でトップを取ったことがあって、その表彰のときに、「君は特許を考えるときはどんなことをしているね?」と聞かれたことがあります。
そのときには、
「天井と相談してます」
と答えた記憶があります。
その頃は、ひとりで何か考えるときは、体は全く使ってなかったように思います。
プログラムを作るときなんかも、しばらくじ〜っと考えていて、頭のなかにアルゴリズムが出来上がると、一気にプログラムをコーディングする、というような作業のやり方でした。
特許や(わりと簡単な)プログラムというのはこういうやり方のほうが効率がいいかもしれません。考えることの外部との関係が結構少ないですので、一つのことだけに集中していればいいですから。
■頭のなかでは処理できない
しかし、考えるべきことや、そのテーマに対していろいろな要因が多くなってくると、頭のなかでは処理しきれなくなります。
人間の頭で同時に考えられる事柄というのは、ワーキングメモリというものに制限を受けていて、これは最大でも7つくらいまでなんだそうな。
私の場合は3つくらいかな?
それ以上になったら、一旦ワーキングメモリから別の保管場所に移して、一旦退避しておいた別の事柄を取り出して…とやらないと、考えられないそうです。
ようは、ちょっと複雑なことになるとその時点で、脳内では処理しきれないんですよ。
ぐるぐるいろんなことがまわることになる。
かから、一旦紙に書きつけてみるのが、ベストな方法だと気が付きました。
■考えるときに腕組みをしない
そこから意識するようになったのは、
「考えるときに腕組みをしない」
という考え方。私の場合は、
「ノートに書きながら考える」
というのと同義です。
もちろん、PC のほうが楽という人もいるでしょうけど、とにかく、具体的に何らかのものにアウトプットしながら考えるといいみたいです。
ちなみに私は考えるステップには大きく3つあって、
・要素を出す
・その要素の関係や目標への影響度を出す
・最善の方法を出す
ごとに使うツールが変わります。「要素を出す」ときにはマインドマップを使いますし、要素の関係や影響度を考えるときには、ノートに要素を書き出しながら図解してみたり、線で結んでみたりしています。
■ノートは考えるためのツール
過去記事でも何度か書いてますが、ノートは記録するためのツールではありません。
もちろん、その要素もありますが、主な要素は考えるためのツールです。
考えたプロセスが残るという意味で、記録するためのツールとも言えますが、議事録を書いたり、行動記録をつけたりするのには向いてません。検索性があまりに悪いですから。
記録と取るのであれば、過去記事でも紹介しているテキストファイルにする方法や、OneNote / Evernote のようなデジタルツールのほうがはるかに優れてます。
逆に、思考をするツールとしてはノートのほうがはるかに優れます。
それがなぜなのかはちゃんと理解できていませんが、おそらく自由度にあるのではないかと思ってます。
ノートには絵を書いたり線を書いたり、文字を書いたりと何をしても自由です。
それが子供の頃から訓練されているので、非常に楽にできるんですね。
一方で PC アプリなどのようなものは、その習熟に時間がかかったり、自由度が低かったりするので、自由になんでもやれる環境というのは作れないんじゃないかと。
何か考えようとしたら、ペンを持ってノートを広げて、頭に浮かぶ者をイメージだろうが単語だろうが書き付けていくと、思考が思い通りに広がったり、集約したりできるようになります。