「考えたけどわかりませんでした」
もしあなたが、部下や後輩からこんな相談を受けたらどうしますか?
「それは、こうやってやるんだよ」と直接答えを教えてあげてもよいですが、あなた自身がそのときの状況が正確にわかっているわけではないとすると、もしかして適切な答えではないかもしれません。また、部下や後輩にとっては、答えを示されただけだと考える地柄が付きません。永遠に部下に答えを示し続けなくてはいけなくなってしまいます。
■「考えた」のか?
そもそも、彼は本当に考えたのでしょうか?
それを測定する方法があります。私は部下に、どのようなことを考えたのかを書き出してもらってます。
それについて考えたことをちょっとここに書いて
とA4の白紙を渡します。
それにどれくらい書き込みができるかでその結果がわかります。
見るポイントは3つあります。
・単語や文章の数
・それぞれの単語や文章のつながりの図示
・単語や文章をグルーピングしたときの抜け漏れ
です。
で、答えから言ってしまうと、考えてない部下というのは、だいたい2〜3個書くと手が止まっちゃいます。なにも書けない部下もいます。そういう人には、答えどころかヒントを出してもダメです。状況を詳しく聞き出して、「つぎにすべきこと」だけを言うのが、彼のパフォーマンスを最も引き出す方法です。
もし、A4いっぱいに書けたのであれば、それに対して優先順位や抜け漏れの指摘をしてあげれば、その部下はほぼ正しい答えにたどり着きます。
要するに、前者の部下は考えてないです。考えてない人に考える仕事を与えてもムリということです。それなら、体を動かしてもらうのが組織としてはパフォーマンスは上がります。
いわゆる「考えた」つもりになっているだけで、なにも考えてなくて、悩んでいただけです。
このことから、「考える」と「悩む」の違いが簡単にわかることと思います。
■「考える」ことと「悩む」こと
以下の本ではこのことを非常に端的に表していると思います。
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●「考える」と「悩む」を混同しない
情報はそれなりに集まっているはずなのに、なかなか答えが見えてこないということがあります。このような状況に陥ると、多くの人は集めた資料をひっくり返したり眺めたりしながら無為に時間を過ごしてしまいがちです。しかし、そのようなことをやっていて解がひらめくなどということはまずありません。
判断に必要と思われる情報はそれなりに集まったのに解が見えてこないというとき、問題はほぼ間違いなく「問いの立て方」か「情報の集め方」にあるはずで、思考力や思考量の問題であることはあまりないはずです。
意外に思われるかも知れませんが、筆者自身は、高度な知的生産に、必ずしも高度な思考力が必要だとは思っていません。特にビジネスの世界における知的生産に限っていえば、せいぜい中学校を普通の成績で卒業できる程度の思考力があれば、たいがいの状況で十二分にクオリティの高い知的生産物を生み出せるはずです。
したがって、読者の皆さんが一時間考えても答えが出ないというとき、それは思考力や思考量に問題があるのではなく、ほぼ間違いなく「問いの立て方」か「情報の集め方」に問題があると思っていいでしょう。
これはよく勘違いされていることなのですが、「考える」という行為と「悩む」という行為を混同してはいけません。
よく「一日考えてみたのですがよくわかりません」といったことを平気で口にする人がいますが、ほとんどの場合、それは「考えている」のではなく「悩んでいる」だけです。哲学や論理学といった分野で専門的なトレーニングを積んだ人であればともかく、普通の人間には丸一日考えるなどというのはまったく不可能なはずです。
一橋大学の学長まで務めた歴史家の阿部謹也先生は、著書『歴史家の自画像』の中で、次のように述べておられます。
かつて、学生に考えるってどういうことか、どういう状態を考えると言っていいのかと訊かれたんです。僕はものを考えるというのは、瞬間だと思っているのです。たとえば一時間考えるなんてできないですよ。 阿部謹也『歴史家の自画像』
「考えている」のであればまだしも、自分が「悩んでいる」状態にあるとき、その先、どんなに時間をかけても知的生産のプロセッシングは前に進みません。しかし、どうやったら「考えている」のか「悩んでいる」のかを自己判定できるか?
ここはなかなか感覚的な部分もあって悩ましいのですが、筆者自身は二つのポイントがあるように思います。
一つ目は「手が動かなくなる」と、「考えている」のではなく「悩んでいる」状況に陥っている可能性があります。「考える」という作業を、脳内で完結する純粋に理知的な作業だと思っている人が多いのですが、知的生産におけるプロセッシングのほとんどは手を介して行われます。
後ほど詳しく触れることになりますが、紙やホワイトボードをフルに活用して推し進めるのがプロセッシングですから、この段階で「手が動いていない」というのは、考えているのではなく「悩んでいる」可能性が高いと思っていいでしょう。
二つ目の見極めのポイントが「言葉が生まれない」という点です。
知的生産におけるプロセッシングというのは、集めた情報から示唆や洞察を生み出し、最終的に行動に関する計画を生み出すことだという指摘は以前にしました。
つまり「考える」というのは、集めた情報から、示唆や洞察をメッセージとして生み出す、ということです。したがって、一時間以上にわたって、他者に伝えたい「メッセージ」が出てこないとき、それはすでに「考えている」のではなく「悩んでいる」状況に陥っている可能性が高いと思っていいでしょう。
判断の基準は人それぞれにいろいろだと思いますが、いずれにせよ、大事なのは「情報から示唆を、示唆から行動を生み出す」という知的生産のプロセスが壁に当たって前に進まなくなった、と感じられたら、それはすでに「悩んでいる」可能性が高いと思ってよいでしょう。
このようなときは、それ以上悩み続けてもプロセスが前に進むことはまずありません。一時間以上にわたって「手が動いていない」「言葉が出てこない」と思うのであれば、壁に頭突きし続けるような不毛な突貫はあきらめて、別の方策を考えるようにしましょう。
(著) 『外資系コンサルの知的生産術』
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通常、「考える」というのは、入口と出口があります。
つまり、ある課題があって、それに対する結論や行動が出口です。本書では課題のことを「問いの立て方」と称しています。
たとえば、「会社にDXを導入しよう」では考えることはできません。「会社の××業務の工数を半分にするにはどうすればいいだろうか」が正しい問いです。そのためのツールとしてDXだったりデジタル化だったりする手法があるのです。で、その結果「業務のプロセスをこういうふうに改革しよう」という出口があるのです。
「悩む」には入口があっても出口がありません。入り口すらないときもあります。
「会社をよくしよう」には出口がありません。だから「悩む」のです。
出口が無いので、金魚すくいの金魚よろしく、ぐるぐる回るだけです。
その動きがわかるのが、「考えていることを書いてみると、手が止まる」ということなのだと考えます。
だから、自分がなにか考えているつもりになっているのであれば、とにかく「書く」ことをしてみてください。
PCでもいいですし、紙に書き付けてもいいです。書き続けられるというのは、考えているという証です。
その時間だけが考えている時間なのです。
■参考図書 『外資系コンサルの知的生産術』
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外資系コンサルの知的生産術 著者 : | 楽天では見つかりませんでした | DMMでは見つかりませんでした |