私が若かりし頃、上司に言われたことがあります。
5分遅れは、1時間遅れよりも罪が重い。
本日はこれについて。
■1時間遅れは事情があるが、5分遅れは気の緩み
社会人と学生で一番違うのは、時間の感覚です。たとえば大学の授業は、2時からの講義だったら10分遅れで教室に入ってもかまいませんでした。先生が10分遅れで教室に入ってきます。そのあとで「やってるやってる」と言っておもむろに学生が入ってくる。予定の10分前に授業が終わる。これが、大学生にもなって子供の時間割に慣れてしまった最悪のパターンです。
たとえば、待ち合わせをして5分遅れるとします。その時に、5分ぐらいいいじゃないかという気分でいるような人は、仕事に対する意識、責任感がないのです。
したがって、私は打ち合わせに遅れて入ってくるのは一切禁止にしています。
もし遅れて入ってきた人がいたら、「帰れ」と言います。もし、その人がいないと会議が進まなければ、「今回は流会にして、あなた(遅れてきた人)が会議の開催者として、全員の出席を管理するように」ということにして会議は一旦解散にします。
ただし、遅れることを事前に連絡してきた人は除きます。
もちろん、その会議で決めることが遅れることで、仕事全体が遅れるというような場合もありますが、それでも、これは絶対に譲りません。というようなことを繰り返していたら、遅刻する部下はいなくなりました。
これは緊張感を持って時間を管理することにつながったと考えています。
もちろん遅れてきた人が他部門の人であっても同じようにしました。その場合には他部門の人に仕事を言い渡すことになるので、上司の承認が必要です。そこでその遅刻してきた人の上司にその場で電話をして、「おたくの部下が遅刻してきたので会議の時間がなくなりました。次回開催の責任者になってもらいますが、問題ないですよね?」と聞きます。もちろん拒否されたことはありません。
一方で、大幅に遅れてくる人、たとえば1時間遅刻する等の場合には、たいてい何らかの事情があります。
まあ、1時間の会議で1時間遅れてくるというのは欠席と同等なのですが、約束の時間に大幅に遅れて来るというのは、どうしてもその時間に来れなかった理由があると考えます。
約束の時間に5分遅れで来る人間と、1時間遅れで来る人間とでは、どっちが成功できるか。あなたはどっちの側か考えてみて下さい。
もしあなたが5分遅れてきた。でも、もう1人の人が1時間遅れてきた。「あいつは1時間も遅れているけど、自分はまだ5分しか遅れていないから大丈夫」と考えたら大間違いです。1時間遅れてくる人は何かのっぴきならない事情が発生したのです。ところが、5分遅れてくる人は気の緩ゆるみです。原因は本人の心の問題です。
1時間遅れてくる場合は、本人以外の問題で遅れているのです。本人の心の緩みだけで1時間遅れる人はいません。
もちろん、それを見越して十分な余裕を持つとか、代替手段を用意しておくなどのスキルは必要になりますが、5分遅れる人というのはそもそも、他人の時間を奪うことに対して、気持ちが「ゆるい」ので、そうしたスキルを覚えようともしません。そういう人には、スキルよりも、社会人としての責任感の勉強が先でしょう。
■良い遅刻・悪い遅刻
ここでは、「1時間の遅刻」は、次に繋がると考えています。つまり、遅れてしまったことに対する罪悪感があります。このため、これを改善しようという方向に働くと考えています。次に繋がる失敗は良い失敗です。
一方で、「5分の遅刻」は、本人の気持ちの問題です。スキルではありません。そしてこうしたことを繰り返す人は、よほど大きな失敗につながらない限り、改善しようという意識すら持ちません。そうした人は、上司が厳しく指導するか、上司に悪い報告を目の前でされるなどの「5分の遅刻」が重大なことであるという認識を持つところから始めないと改善できないのです。
次につながらないどころか、その人の信用をなくすような行動は悪い失敗です。
遅刻することが良いことだとは言えませんが、それでも、その人の成長につながるという意味で、どちらがいいかと考えれば、まあ、考えるまでもありません。